昔の光栄ゲームが好きだった。
ここで言う「昔」というのは、だいたい2000年より前の光栄ゲームのことだ。
『信長の野望』や『三國志』のような歴史シミュレーションを中心に、『提督の決断』『大航海時代』『チンギスハーン』『ロイヤルブラッド』など、当時の光栄は今振り返ってもかなり幅広いシミュレーションゲームを出していたと思う。
そして私は、それらをかなり繰り返し遊んだ。
今の基準で見れば、決して派手なゲームではなかったかもしれない。
画面いっぱいに数字が並ぶ。
武将の能力値、兵士数、金、米、忠誠、訓練、友好度、都市の状態、艦隊、交易品、名声。
人によっては「表計算ソフトみたい」と感じるかもしれない。
けれど、私はそこにワクワクしていた。
数字の向こうに国があり、武将がいて、戦争があり、外交があり、世界があった。
■ 繰り返し遊んだ光栄ゲームたち
昔の光栄ゲームは、本当にいろいろ遊んだ。
まず『信長の野望』。
一番遊んだのは『信長の野望・烈風伝』だと思う。
続いて『信長の野望・将星録』、そして『信長の野望・武将風雲録』。
『烈風伝』は特に、全国マップの上で城や勢力が動いている感覚が強く、何度も繰り返し遊んだ記憶がある。
国を少しずつ広げていく。
武将を集める。
内政を整える。
隣国の動きを見ながら、次にどこを攻めるかを考える。
その積み重ねがとても楽しかった。
『将星録』や『武将風雲録』も含めて、やはり『信長の野望』シリーズには、国取りSLGとしての強い魅力があったと思う。
次に『三國志』シリーズ。
こちらは『三國志III』を最も遊んだ。
続いて『三國志II』『三國志IV』『三國志V』の順だと思う。
『三國志III』は、当時かなり繰り返し遊んだ。
武将の能力値を眺め、都市の状態を見て、誰をどこに置くかを考える。
強い武将だけを集めれば良いというわけではなく、微妙な能力の武将にも役割を与えながら国を動かしていく感じが好きだった。
数字を見ているだけで、次にやることが頭の中に浮かんでくる。
そういうゲームだった。
『提督の決断』では、『提督の決断III』を死ぬほど繰り返しプレイした。
題材としては太平洋戦争なので、かなり重いテーマではある。
ただ、戦略シミュレーションとして見ると、艦隊運用、戦線管理、資源、作戦の組み立てなど、考えることが非常に多かった。
この「考えることが多すぎる感じ」も、当時の光栄ゲームらしさだったと思う。
すぐに分かる面白さではない。
けれど、分かってくると延々と遊んでしまう。
『提督の決断III』には、そういう中毒性があった。
『大航海時代』では、『大航海時代II』が一番好きだった。
交易、冒険、海戦、世界を巡る自由さ。
歴史SLGとは少し違うが、世界が広がっていく感覚がとても良かった。
港を巡り、交易品を運び、冒険を進め、時には戦う。
国取りとは違う形で、世界地図を眺める楽しさがあった。
次点では『大航海時代III』も印象に残っている。
ただ、こちらは少し難しすぎた。
面白いのだけれど、かなり人を選ぶゲームだったと思う。
それでも、あの挑戦的な作りは強く記憶に残っている。
『チンギスハーン 蒼き狼と白き牝鹿IV』も繰り返し遊んだ。
とにかく世界が広い。
東アジアだけではなく、ユーラシア全体を舞台にしているようなスケール感があり、「世界を相手にしている」感覚があった。
日本や中国だけではなく、遠く離れた地域まで含めた広大な世界。
この広さは、他の歴史SLGとはまた違う魅力だった。
マップを見ているだけで楽しい。
次はどこへ進むのか。
どの地域を押さえるのか。
どこに敵がいるのか。
そういうことを考えるだけで、かなり時間が過ぎていった。
そして最後に、『ロイヤルブラッドII 〜ディナール王国年代記〜』。
これは個人的に、相当好きな部類のゲームだ。
歴史ものではなく、ファンタジー世界を舞台にした戦略シミュレーション。
国があり、人物がいて、世界があり、その中で勢力を動かしていく。
大作RPGでもなく、派手なアクションでもなく、キャラクターを前面に押し出すゲームでもない。
ファンタジー世界を舞台にした、骨太な戦略SLG。
こういうゲームは、今では本当に出なくなったと思う。
私が今作っている『王国創世記 -Kingdom Chronicle-』にも、このあたりの影響はかなりある。
■ 昔の光栄ゲームは、決して万人向けではなかった
昔の光栄ゲームは、決して万人向けではなかったと思う。
説明不足な部分もある。
画面も派手ではない。
演出も控えめ。
操作も、今のゲームほど親切ではない。
そして値段もやたら高かった(笑)
けれど、その分だけプレイヤーが想像する余地が大きかった。
数値とテキストと顔グラフィックだけで、こちらは勝手に物語を作っていた。
この武将は能力は低いけれど、長年仕えてくれているから使い続けたい。
隣国とは今戦いたくないから、しばらく同盟しておこう。
この都市は兵糧が少ないから、長期戦に持ち込めば勝てるかもしれない。
忠誠が低い武将がいるから、引き抜けるかもしれない。
ゲーム側がすべてを演出してくれるわけではない。
むしろ、かなりの部分をプレイヤーの想像力に委ねていた。
私はそこが好きだった。
■ 面倒くさいから面白かった
昔の歴史SLGや戦略SLGには、面倒くささがあった。
国ごとに命令を出す。
武将ごとに役割を考える。
都市の数字を見比べる。
隣国との関係を見る。
兵力を確認する。
忠誠を気にする。
外交を考える。
今のゲームなら、もっと自動化される部分も多いと思う。
けれど、その面倒くささこそが面白かった。
プレイヤーが手を入れた分だけ、国が少しずつ強くなっていく。
よく考えずに動けば、外交で孤立したり、兵糧が尽きたり、武将が離反したりする。
派手なアクションではなく、盤面と数字の積み重ねで遊ぶゲームだった。
そして、そういうゲームはかなり人を選ぶ。
万人向けではない。
チュートリアルで気持ちよく遊ばせるタイプでもない。
見た目だけで面白さが伝わるゲームでもない。
でも、刺さる人には深く刺さる。
昔の光栄ゲームには、そういう強さがあったと思う。
■ いつからか、光栄ゲームを買わなくなった
ところが、いつからか私は光栄、そして現在のコーエーテクモのゲームをあまり買わなくなった。
全く買わないわけではない。
気になるタイトルがないわけでもない。
ただ、かつてのように「これは絶対に遊びたい」と思うことが減っていった。
理由はいくつかあるが、一番大きいのは、ゲームの方向性が変わっていったように感じたからだ。
もちろん、会社として大衆向けに作るのは正しい。
ゲーム開発にはお金がかかる。
売れなければ続かない。
分かりやすく、見栄えよく、広い層に届くゲームにしていくのは当然の判断だと思う。
むしろ、企業としてはそちらの方が正しい。
ただ、その一方で、自分が好きだった「画面いっぱいの数字と、複雑な判断を楽しむゲーム」は、だんだん主流から外れていったようにも感じる。
大衆向けになるほど、分かりやすさが求められる。
テンポの良さも必要になる。
見た目の派手さも必要になる。
キャラクター性や演出も、昔よりずっと重視される。
その流れ自体は否定できない。
けれど、その中で、昔の光栄ゲームにあったような、少し不親切で、少し面倒で、でも延々と考えていられるSLGは作りにくくなったのだと思う。
■ 今、大手メーカーが作りにくいSLG
今の大手メーカーが、昔のような骨太なSLGを作りにくいのは分かる。
開発費は上がり、ゲームに求められる見た目の水準も上がった。
分かりやすさ、テンポの良さ、派手さ、キャラクター性。
そういうものが重視されるのは当然だと思う。
画面いっぱいに数字が並び、プレイヤーがそれを眺めながら国の行く末を考えるようなゲームは、たぶん今の大作市場では売りにくい。
かなり人を選ぶ。
すぐに面白さが伝わるタイプでもない。
動画映えもしにくい。
チュートリアルで全員を気持ちよく導けるゲームでもない。
だから、大手メーカーがそういう方向に行きにくいのは理解できる。
売上が立たなければ、継続して作ることはできない。
会社である以上、それは当然だ。
ただ、それでも私はそういうSLGが好きだった。
内政をして、武将を集めて、同盟を結んで、裏切って、攻め込んで、国を少しずつ広げていく。
数字として表示されるだけの友好度や忠誠や兵力に、勝手に物語を感じる。
派手な演出がなくても、頭の中ではいろいろなドラマが起きている。
そういうゲームが、今でも好きだ。
■ 牧歌的で、骨太で、少し古いSLG
昔の光栄ゲームには、どこか牧歌的な良さがあったと思う。
もちろん、ゲームの題材は戦争だったり、国盗りだったり、決して牧歌的な内容ばかりではない。
それでも、プレイ感としては、どこかのんびりしていた。
ターンを進める。
数字を見る。
内政する。
武将を配置する。
外交する。
戦争の準備をする。
すぐに反射神経を求められるわけではない。
派手なコンボを決めるわけでもない。
自分のペースで盤面を眺めて、考えて、少しずつ国を動かしていく。
そういう時間があった。
今の時代に、そのまま昔のゲームを再現しても通用しないとは思う。
UIは見やすくしたい。
操作も分かりやすくしたい。
演出もある程度は必要だと思う。
テンポも悪すぎてはいけない。
けれど、根っこにある楽しさは残したい。
数字を見て考える楽しさ。
国を育てる楽しさ。
武将に愛着を持つ楽しさ。
勢力同士の関係が少しずつ変わっていく楽しさ。
自分だけの戦史が生まれていく楽しさ。
そういうSLGを作りたい。
■ だから、自分で作りたい
今、自分で『王国創世記 -Kingdom Chronicle-』という戦略SLGを作っている。
これは歴史SLGそのものではない。
舞台は中世風のファンタジー世界で、実在の武将や歴史上の国家が登場するわけではない。
けれど、根っこの部分では、昔の光栄ゲームから受けた影響がかなり大きいと思う。
国を動かす楽しさ。
武将の能力値を眺める楽しさ。
勢力間の外交関係を見る楽しさ。
忠誠や友好度の数字に意味を持たせる楽しさ。
地図を眺めながら、次にどこへ攻めるかを考える楽しさ。
そういうものを、自分なりにもう一度作ってみたい。
昔の光栄ゲームそのものを再現したいわけではない。
今の時代に合わせて、見た目も操作性も整えたい。
ただ、あの頃に感じていた、
「数字の向こうに国が見える」
「武将の能力値を眺めているだけで楽しい」
「世界地図を見ながら次の一手を考える」
という感覚は、自分の中にかなり強く残っている。
『王国創世記』にも、たぶんそれがにじみ出ていると思う。
■ 刺さる人には刺さるゲームを作りたい
大衆向けではないかもしれない。
派手なゲームでもないかもしれない。
今の主流から見れば、少し古いゲームに見えるかもしれない。
けれど、刺さる人には刺さる。
昔の光栄ゲームには、そういう魅力があった。
画面いっぱいの数字を見て、面白そうだと思える人。
武将の能力値を眺めて、配置を考えるだけで楽しい人。
地図を見ながら、次の一手を考えるのが好きな人。
国が少しずつ広がっていくのを見るのが好きな人。
そういう人に届くSLGを作りたい。
今の大手メーカーがなかなか作らないなら、個人開発だからこそ作ってもいいのではないかと思っている。
売れ筋から外れていてもいい。
少し面倒でもいい。
分かる人にだけ深く刺さるゲームでもいい。
むしろ、そういうゲームを作れるのが個人開発の良さなのかもしれない。
少し古くて、少し面倒で、でもずっと遊んでいられるようなSLG。
数字の向こうに国が見えるようなSLG。
そんなゲームを作りたいと思っている。
『王国創世記 -Kingdom Chronicle-』は、たぶんその思いから始まっている。




























